2017年12月16日
その日、父親はコタツで眠ったまま、三途の河を渡るはずだった。
なにもしなければ・・
前日、父親が死ぬ夢を見た。
翌日、土曜の朝、実家から電話がかかってきた。
『お父さん、朝からこたつでまた寝てるんよ』
電話の向こうで、笑いながら母親はそう言った。
自分でも半信半疑だったが、いやな予感がする。
『お母さん、よく聞いて。良くないことが起きるよ。お父さんと、電話代わって』
何度かやりとりして、やっと、父親と話せた。呂律がまわってない。
母親に伝える。
『救急車呼んで』
『良くないことが起きるよ?すぐに救急車呼んで』
何度かやりとりするが、認知症の進んだ母親には伝わらない。
『あ、お父さん元気になったよ、もう大丈夫よ。ガチャ』
ガチャって・・
それから電話がつながらなくなった。
慌てて、福岡の実家にどうやって、愛知県から救急車を呼べるか、調べ始めた。
(手続きの話は、省略します)
あの後、混乱した母親は、従妹に連絡しまくったらしい。
叔父が実家に来てくれて、両親を押し切って、救急車を呼んでくれたそうだ。
運命に逆らった日。
土曜の夜、意識のない父親と集中治療室で会った。
そこから始まった両親の介護中、とにかく目の前の事で精いっぱいで、
夢の事など考えている暇はなかった。
伏線の夢に出てきた女性は父親のお母さんだった
1年後父親は他界した。
遺産相続で悪戦苦闘、あっという間に父の1周忌が終わり、遺品を整理していた時のこと。両親のアルバムを見ていた時に、あの伏線の夢に出てきた、黒い服の女性は、若い頃の父親のお母さん、つまり私のおばあちゃん、であったことに気付いた。
おばあちゃんには2回しか会った事がない。
1回目は小学生の夏休み。2回目は葬式だった。
どうして一言も話してくれなかったのだろう。
あの世に、どういうルールが適用されているのは分からないが、
話すと未来が大きく変わってしまう為、話すことが出来なかったのかもしれない。
自分は正しいことをした
介護中は、色んなことがあり過ぎて、不謹慎だが、
あのまま寿命通りに死なせた方が良かったのでは、と考える時もあった。
馴染みの居酒屋の大将が言ってくれた。
『お父さんが、みんなを集めてくれたんですよ』
確かにそうだった。
今は正しい事をしたと思う。