BASI-KRAMER’s blog

浜までは海女も蓑着る時雨かな

核の切り札と浜田省吾

むなしく踊り続ける

 

迷彩服来て、茂みが隠れ・・

ドローン戦では意味がない。人間の視覚を欺く手法は全く意味がなくなった。

陣地を構築して、では、構築してる最中に攻撃されてしまう。

 

これに対抗出来るのは、ステルス化&欺瞞された部隊のスピード勝負だ。

 

偵察衛星を誤魔化す為に、風船トラックを並べた如く、トラックを張りぼてにしてMRLSに見立てる、といった行為を迅速に行う必要がある。

鉄製トラックに、発熱する人形を置いたダミートラックは、AIでは判別出来ないだろう。それを囮にするわけだ。

 

かって、空自の対艦ミサイルの試験では、ターゲットとなる廃船の上に、ドラム缶を置き、その中に入れた薪で火を焚いて、熱源としていた事例がある。これは偽物の熱源を置いて、機関のエンジン熱源に正しく突入出来るか、が本当の狙いだったのだが、ドラム缶で試験している!、とそちらの方が有名になってしまったが。

相手を欺くには、こちらを低く見せるのは有効な戦法だ。

 

本当の切り札は何なのか。

浜田省吾の『愛の世代の前に』が想い出深い。

 

この歌は核戦争を舞台にしており、”切り札”は”核”を意味しており、”愛の世代”は、”核のない世界”を表現している。

歌に出てくる、『俺もまた慰安の中でむなしく踊り続ける』、は核無き世界など、きれいごとで出来るわけないだろ、アホか。と言われながら、むなしく主張し続ける、というフレーズだ。

 

私たちもまた、むなしく踊り続けるのだろうか。

それとも、戦う術を手にするのだろうか。