利権争いが表面化する世界で
ここに至る歴史的背景は省略するが、各国とも自国の利害関係で動き始めている。『人道的な見地から・・』といった枕詞は自国の立場を正当化する為に使っているのであり、現地で誰が死んでようが、たいした意味を持たなくなっている。どう振舞えば利益になるか、その1点だけだ。国際政治とはそういうものだと思い知らされる。
これ以前にも、ウクライナでの悲惨な戦闘の様子が毎日報道され、 アゼルバイジャンとアルメニアの係争地ナゴルノカラバフでは事実上アゼルバイジャンが勝利、アルメニア系住民12万人が自国に退去している。彼らは国には戻れたが、これからの生活は決して簡単ではないのだろう。しかしながら、紛争と直接関係のない人々の関心は日々薄れていっているのが実情だ。イスラエル事案も、当事者でない人々には、よく分からないどこかで起きている紛争の一つになっていくのだろう。
戦いの記憶は継承される
佳子さまがペルーを訪問されているが、単なる親善ではない。
日本人のペルー移住100周年にあたる1999年に建てられた記念碑に花輪を捧げて深く拝礼されている。
貧しい日本人がペルーに移住開始、100年も経った1999年になって、ようやく記念碑が建てられたのだが、そこに至るまで、第二次世界大戦も挟み、現地では様々な困難があったのは想像に難くない。歴史に残る大規模な直接戦争をしたわけでもないのに、これだけの時間がかかっているのだ。直接戦った国・地域とは、程度の差があるが、いまだに国民的な和解が進んでいるとは言えない。
戦いの記憶は消えないのだ。
戦闘が一時的に停止されても、その記憶が消える事はなく、次世代に引き継がれていく。ウクライナもイスラエルも、それを振り返る日が来るのは、遠い先になる。
えらいことだ。1日も早く平穏が訪れる事を望む。
同時に、これら国際情勢が、日本が事案に備える準備を放棄する根拠には到底ならないと再認識させられる。
見ての通り、明日への備えは自分達で準備するしかないのだから。