帰る帰る症候群
『帰る、帰る。』
認知症が進む父親は転院した病院で、ベットから落ちた。落ちると検査だなんだで、またやることが増えてしまう。初期の頃は、なんとか帰宅させる事が出来ないだろうか、と考えていたのですが、認知症の症状が進行するのを見ると、とても無理だと判断するしかありませんでした。
『帰る、帰る。』
『そうだね、早く治して帰ろうね。』
だんだんと会話が減っていき、私が愛知県から帰省して面会に行っても、あまり話さなくなりました。見舞いに来ない母親の事を繰り返し非難していたのですが、これもだんだんと言わなくなっていきました。同じく認知症の母親は別の病院に入院しており、連れ出すのは無理な状態だったので、会わせてあげたくても、出来なかったのですが。
父親は髭剃りが日課だったので、シェーバーを病室に持っていったのですが、見えてないと不安に感じるようで、100均でクリアボックスを買い、私物はそこに入れておきました。自分の持ち物があると安心して、帰る症候群が多少は緩和されていたように思えます。
本当はダメなのですが、引き出しに少額をお金を置かせてもらい、本人が売店で買いたいものがあればお願いします、と看護婦さんに伝えていました。病院では原則お金を置く事は出来ないのですが、事情があるとの配慮でした。
父親は売店に行くのを、楽しみにしていたようで、その日は機嫌が良かったみたいです。本人を落ち着かせる為に出来るだけのことはしたつもりでしたが、気に入らない事があると職員さんに声を荒げるなど、問題行動はありました。
実家に帰った日
他界する2週間ほど前、病院でかなり騒いだ日がありました。
『家がおかしい。家がおかしい。』
病院から電話が入り、看護婦さんから、落ち着かせてくださいとの依頼。
『大丈夫、家でお母さんと話すからね。少し待っててね。』
何度も同じ説明をして、なんとか落ち着かせたようとしたのですが、自身の寿命が尽きるのが近いと感じていたのかもしれません。
2週間後の早朝、父親は眠ったまま、他界しました。霊柩車で病院から葬儀場に行く前に、実家に寄ってもらったのです。
『父さん、みんなの思い出の詰まった家だよ。ありがとう。』